日々の残像V〜北鎌倉篇〜

大森元気 web log vol.5 - since nov.2016

八月の狂想曲〜前篇〜

f:id:kitakamadays:20170830185220j:plain

墓参りをし、戦争について考え、日航機事故を思い起こす。流れてくる道路や水の事故のニュース、はたまた思い浮かべる宮澤賢治の「銀河鉄道の夜」。
こうして8月はただでさえ死の影が漂っているのに、かつて友人の1人を亡くしたのもこの月で、僕にとって8月は大好きな夏を楽しみながらも、どろっとした暑さと渾然一体となった慰霊の想いが色濃く溶けている月です。

f:id:kitakamadays:20170830185901j:plain
ずいぶんたってしまいましたが、8/6(日)東京・自由ヶ丘マルディグラでのライブ、お越し下さった皆様ありがとうございました。


初めてソロで歌ったのが14年前のマルディグラでした。そのライブをきっかけにバンドと並行して弾き語りもするようになり、ライブに明け暮れる生活が始まったのでした。
それ以来本当にたくさんの人に出会ってきました。今もなお繋がっている人もいれば、あの時代だけ濃密な時間を過ごし離れていった人もいます。そして何人かはこの世からいなくなってしまいました。

f:id:kitakamadays:20170830190152j:plain※昔の写真です

慣れるなんてことは絶対にないけれど、最近は友人や恩人との別れがあまりに多すぎて、少し覚悟ではないけど、死は身近にあるということを肝に銘じるように生きるようになった気がします。
けれども、10年前の8月にはあまりにも無防備で丸腰の僕がいて、唐突な報せの前になす術もなくて。友人達とともに会いに行き、読まれることのない手紙を渡し、でも奇跡的に目をあけてくれて、そして翌日その人は旅立っていきました。

そんなことがあって作った「海岸列車」は、アルバムに収めただけでほとんど歌ったことはなかったけれど今回マルディグラで歌ってみました。


大森元気「海岸列車」2017.08.06自由が丘マルディグラ

 

 

君はどこにいるのですか?
今どうしているのですか?

君のいないこの日々で
君のいないこの世界で

長く暑い夏のなかで
もう少し君の手を握っていたかった

海の香りがする列車の窓から
君の見てた町を見る
ああどんなふうに君は
この世界を君は見てたのかな?


いつだって会えるなんて
いつまでも同んなじだなんて
mm....
なぜ僕は思ってたのだろう

永い間ただよっていた
もう少し君をちゃんと見てればよかった

海の光で目が少し痛いよ
君の住んでた町にいる
ああなんて君の微笑みの似合う町!

海の香りがする列車の窓から
君の見てた町を見る――
ああどんなふうに君は
この世界をここから見てたのかな?
                      
(「海岸列車」大森元気 2007 )


形式的にラブソングの形をとっているのは、赤裸々なドキュメントであるよりも普遍的なポップスでありたいというのがあったから。もっと言えば、死別でない恋愛の別れの歌にも解釈できてもいいんじゃないかって、そのくらいのほうがなんだかいいような気がして。

でもさ、なんにも生まれず、どこにも向かわない歌なのかなと、作って少したってからは思ったものです。

けれども書かずにはいられなかったし、故人の町に行くこと、そして「偲んで歌う」ということが――供養なんて偉そうなものではなくてーー小さくてもいいから何かしらの意味を持てばいいと思ったのです。

そう、この歌は歌に描かれている海岸で実際に録音しました。(動画の場所とは違うのですが...) ギターと歌、そして波の音を1つのマイクで収めて。他の楽器類をあとから重ねはしましたが、それでもその海で歌うことに意味があるような気がして。この歌はその確かな記録です。

自己満足だといえばそれまでかも知れません。ただ、誰も失わない人なんていないから、そういう気持ちを歌に閉じ込めておけたらいいな、なんて思ったのです。それがポップスということなんじゃないかな?

f:id:kitakamadays:20170830190654j:plain

この歌が出来たことで、ミニアルバム『夜のバラッド』が生まれました。当時レーベルからのリリースが延期になったり、いくつかあったバンドが休止になったり、メンバーを集めた新編成ではレーベルとしてはまだリリースできないと言われたりで。これからどうしようと思っていたところでした。それでデビュー以来初となる自主製作盤を作ろうと思い立ったのでした。(レーベルには了承とりました)

それですべての楽器の演奏と、録音・ミックスも1人でやってみました。事務所ノータッチにも関わらずナタリーさんなど各音楽ニュースサイトでも取り上げられ、ユキタツヤ氏(タワーレコードレーベル/当時モナレコード店長)に至っては「過去最高傑作」とまで言ってもらえた作品になりました。

natalie.mu


ここまでさせてくれたのは、やっぱり突然の別れがあったからで、それを「感謝」と言ってしまえば安易すぎるしあまりにデリカシーのない言い方だけれど、やり切れない想いで、もっと頑張らなきゃと思わせてくれた、そんな出来事でした。

ちなみに、ここまで書いておいてあれですが、今は廃盤中。10周年の今年中にはなんとか再販したいと思っています。

f:id:kitakamadays:20170830191545j:plain

人は死んだら終わりで、肉体とともに意識や魂や記憶もなくなってしまう...という人もいる。そうじゃないという人もいるけれど...僕にはわからないな。

だけど、少なくとも残された人が想い出しさえすれば、その人が存在していた証明になる。みんなの中で生き続けることが出来る。じゃあ誰からも忘れられたら生きていたことにならないのか?と問われたら酷だけれども、でも思い出すことで共有した時間や感情は消えないのかなと、そんなふうに思ったりします。

遺品とか、墓標とか、お盆とかは、そのためにあるのだと思うし、同じように歌にもそんな役目があるような気がします。うん、どうかな、わからないけれど。

(後編はしんみりせず、ライブレポとかっこよかった藤田君のバンドについてです)