日々の残像V〜北鎌倉篇〜

大森元気 web log vol.5 - since nov.2016

長窪の切通し(北鎌倉・大船)

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◆散歩中に見つけた“長窪の切通し”
前記事で訪れた「青の洞門」に初めて行った時に近くを探索してみることにしました。そこで偶然見つけたのが「長窪の切通し」です。名前も存在も知らない状態からの発見だったので本当にわくわくしました。(どんどん暗くなっていったので迫力倍増でした) 

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これが入口です。こんな所に切通しがあるとはつゆ知らず、軽い気持ちで近付いてみました。 

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普段散歩している山ノ内や源氏山にも山道はあるので、ここもそんな感じの道があるのかなと思いつつ足を踏み入れると―

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岩肌が見えて来ました。切通し発見に盛り上がります。

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初めて通るのでどこまで続いているか分からず、わくわくしながら進んでいきます。

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見上げるとまだ空は明るいですが、夕暮れ時ということもあり足元は暗くなり始めています。  

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岩肌はなかなかの高さがあります。

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木の根がダイナミックに露出しています。 

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出口です。ちょっとした長さがありました。楽しかった~! 


◆高野公園と別の道

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写真右の暗がりのところから出てきました。振り返って撮ったところ。すると左にも道を発見。

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今度はその左の柵のところを探索。 

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高野公園と書いてあります。 

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公園はこんな感じ。 

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f:id:kitakamadays:20190325124125j:plain階段があり山を散策できるようになっていました。

f:id:kitakamadays:20190325124254j:plain進んでいくと道のような所を発見。

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切通しではないようですが、斜面に沿って続いています。古い道でしょうか?

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出口が見えてきました。

 

f:id:kitakamadays:20190325124515j:plainこちらの口も不自然なほど目立たない入口。



◆長窪の切通し考察~城はあったのか無かったのか?

blog.goo.ne.jp↑この長窪の切通しについて詳しく書かれた記事を見つけました。

下に転記するのはWikipediaおよび鎌倉市のサイトの文面ですが、

県道21号線から分かれ、大船高等学校へ向かう道路に平行して切り通しが残存している。この切り通しは六国見山などの尾根沿いに走る山道の一部で、古くは山内荘(現在の山ノ内地域を中心に大船地域一帯を指すエリア)から六浦荘を結んでいたとされる。なおこの切り通しは「鎌倉景観100選」に選ばれている。
  (高野 (鎌倉市) - Wikipediaより)

31 高野の切通  鎌倉市高野4-4地先
かつて山内荘と六浦荘を結んでいたといわれる尾根道で、現在も高野公園あたりから大船高校方面に切通しが残っています。
  (鎌倉市サイト記載「 かまくら景観百選」より)

これを検証不十分の情報と指摘し、持論を述べています。

鎌倉の総ての尾根に、兵員移動の為の道が有ったと考えられる。その兵員移動の尾根道と高野の切通しの道は質や用途が違い別物です。
  (リンク先「鎌倉街道を探そう!巨大鎌倉城と古代駅路痕跡の画像」より)

道幅、それがどこに繋がっていたか、崖の分布、北鎌倉駅北側にある塞がれた平地の存在、、、これらを検証していき、そこに仮に城があれば機能的に使える立地であると仮説を立てています。

ただし実際に城があったかどうかについては、地元の伝承にも残っていなく、文献にも残っていない、歴史家も行政も何も言わないということで、読者に判断を委ねています。

仮説でしょうし、諸説あるのでしょうが、読み応えのあるとても興味深いサイトです。ページ後半では、僕も上で書いた、分かりにくすぎる出入口の謎にも迫っています。

古い道がどのように通っていたかや、地形のことなど、検証したり想像したりするとわくわくするしロマンがありますね。 

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地図内・中央「洞門山」の「門」の字のところから北方向へ進んでいくと六国見山のふもとの階段になり、登り切ったあたりからこの記事の周辺に行くことができます。

 

※高野の切通
長窪の切通しを別称として高野の切通しと呼ぶこともあるみたいですが、どうやら別に「高野の切通し」もあるようです。(勉強不足のため誤情報でしたらすみません)