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日々の残像V〜北鎌倉篇〜

大森元気 web log vol.5 - since nov.2016

ここで鳴る音、ここで響くもの

音楽とことば

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北鎌倉のなかでも僕らの住んでいるところは、人の多いところではなくて、ちょっとした山なのです。そのせいもあって自ずとカントリー/フォーキーな歌がぐっと来るようになりました。ブルーグラスみたいな軽快で伝統的なものではなくて、カントリー風味のゆったりしたロックと言ったほうが伝わりやすいでしょうか。

それらの音楽は元々好きだったし、むしろ自分の音楽性の原点とも言えるものですが、他にも好きなものはたくさんあるので近年はいろいろ聴く中の1つという感じでした。ですが引っ越して1ヶ月くらいはそれら以外のものは全く聴かないてひたすらリピートしていましたね。

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1970年代前半。細野さんや小坂忠さん等のミュージシャン達が埼玉県の狭山の米軍払い下げの町に次々に移り住み、土っぽい歌をたくさん書いた。書物によれば、その少し前から世界的な若者カルチャーの流れのなかで、“自然回帰”、"田舎ぐらし”がブームとなっていたそうです。緑豊かなウッドストックの町にザ・バンドやボブディランなどが移り住んだあの雰囲気にも通じるのでしょうか。僕は狭山にもウッドストックにも行ったことがないけれど、当時の音楽や写真に触れては当時のその雰囲気を想像し、想いを馳せるのです。

北鎌倉の山あいに住んでみて、そういった音楽たちの本当のよさが初めて分かった気がしました。

「くしゃみをひとつ」「山は緑」「カラス」「庭はぽかぽか」「早起き山から」「春を待ってる私はこたつの中」...。歌詞やタイトルに使われるそれらのことば達は、都会で生活していた頃と山暮らしの今とではまったく印象が違います。もちろん頭では分かるけれども実感を伴うものではなく。曲や演奏や歌には聴くたびに感動して来ましたが、歌詞だけを見ればそこに魅力を感じることはなかったのだと思います。

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引っ越してきて、そういった歌たちの意味が本当にわかったような気がします。

僕らが引っ越してきたのは秋まっ只中でした。窓をあければ山や林が数えきれない色合いで赤や橙に色づいていました。風のにおい。木の葉を揺らす音(それは波のように遠くから時間差でやってくる)。空も山も、日ごと・時間ごとに色が変わっていくこと。駅やお店まで往復何分もかかること。何か欲しいときに手に入れるまでにちょっとだけ時間がかかる感覚。家屋の明暗のコントラストの大きいこと。闇は奥深く、得体の知れない恐怖を含んでいるいということ。小動物や虫たちがいつもそばに息づいているということ。すきま風が、寝ている身体を芯まで冷やすこと。心から春を待つ気持ち...。

それらは、行楽で訪れてもわからないもので、山に住んでみて初めて実感したことでした。

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そういうわけで、引っ越した頃よく聴いていたアルバムは
小坂忠 『ありがとう』『はずかしそうに』
小坂忠とフォージョーハーフ 『もっともっと』
細野晴臣HOSONO HOUSE
はっぴいえんど『HAPPY END』
あたりをひらすら。本当にこれらばかり聴いてましたね。
中でも細野さんの「僕は一寸」という曲は、この町で暮らし始める僕の気持ちに完全にシンクロして、テーマソングになりました。

youtu.be
この映像は近年のもので、1コーラス目だけ何故かビートが倍になっていますが、やはり最高の曲なのです。


それから文脈から少しそれますが、ジム・オルークユリイカ』などもヘビロテしていました。フォークやカントリーではないけれど、使っている楽器には共通点があるし、風景が見えるようなループ感や、途中続く静寂すれすれの継続音の重なりも、東京で暮らしていたときにはそこまで好んで聴いていたものではなかったのです。それが今では北鎌倉の日々になくてはならない音楽になりました。

たとえば北欧のアーティストがなぜああいう音楽を鳴らすのか。カントリーもラテンも演歌も皆同じことですよね。“歴史”や“文化”ということのほかに、そこで鳴らされる音楽は圧倒的に“風景”や“気候”に左右されている。そんな当たり前のことを、頭よりも肌で実感したこの2ヶ月でした。

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鉄筋コンクリートで防音効果のあった杉並の部屋とは違って木造の平屋は音の聴こえ方がやはり全然違います。低音がふくよかで、高音はシャープさを保ちながらも優しく響きます。CDでもその効果は分かりましたし、レコードでは尚更でした。特にバスドラムの音が全然違って、嫌な重みは増えずにアタック感が増して、存在感が桁違いです。

壁や窓の遮音性が少ない分、外へも音が漏れてしまうのであまり爆音で聴くことは出来なくなってしまいましたが、それでもいい音に感動できて、今まで以上に音楽の中での生活になりました。

そう、ライブも制作も休んでしまっていますが、いま生活は音楽に溢れています。

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これらの感動や驚きを、早く音にしたいと思っているところ。詞も、曲も、新しく書いていこうと思っています。いろんな音があふれ出してきているような心のざわめきはあるし、でもまだ形にはならなくて。音にするのはもうちょっと先なのかな。それもゆったりペースでいいかなとちょっと思っている自分がいます。

そうなると3年以上作りかけているアルバムをどうしようか、、という悩みもあるにはありますが、ひとまず今は、感じるままに吸収していようかなと思っています。