鎌倉に恋して(後編)
高校を卒業して東京に出てきました。その冬に大学のサークルの何人かで日帰り旅行したのが小6ぶりに訪れた鎌倉でした。それからもたびたび訪れるようになって。12歳のとき夢見た鎌倉は何度訪れてもその魅力を失うことなく、むしろその奥深さに惹き込まれていきました。そして僕にとって特別な場所になっていったのでした。
「江ノ島」という歌を書いたことがある。
今から新宿に出れば
お昼前には江ノ島に着けるだろう
弁天さま さざえの香ばしい匂いで
ぼくは旅人になれるだろう
ぼくの毎日は吹き荒れて
口のなか じゃりじゃり苦いけど
海を見るだけで
何か変わるかも知れない
何も変わらないかも知れない
長谷で引き返し 慌てて海へ出ても
ぼくは夕暮れには間に合わないのだろう
鎌倉高校前駅のホームで黄昏れたところで
所詮旅人にはなれないのだろう
昨日のぼくの思いやりも
明日には誰かを傷つけるだろう
暗くなる前に
きみに電話をしなければならない
日々に戻らなければならない
「江ノ島」大森元気 2006年
(2012年発売『8月の心の揺れ方』収録)
「旅人にはなれないのだろう」というところが気に入っている。江ノ島へおもむけば、日々の色々な悩みから逃げ出して旅人気分になれる。けれど黄昏れ時がやってくればまた明日からのことが頭をもたげ、ちらついてしまうのだ。
旅人になれる場所
旅人にはなれないということ
“ただの近い観光地”という存在から、“深呼吸をするための場所”そして同時にどうしようもなく“憧れの街”。鎌倉は、自分にとってだんだんそういう場所になっていったのだと思います。
いつか住めたら。そんなことは遠い夢のようで、あり得ないな、現実的じゃないな、と思っては諦めて。諦めてというよりも本気で考えることすらしなかったかなぁ。でもいつか。死ぬまでの人生のどこかで、1度くらいは...なんてぼんやりと思っていたのでした。
こんなに早く現実になるとは...という感じです。その運命的なタイミングのことはまた書きたいと思いますが、引越しいよいよ間近になって来ても、うん、やはりまだ夢のようなのです。